IV．新たな読書環境

○鉄道貸本所というアイデア

　こんなふうに貸本屋は依然として一定の顧客を持ち、しっかりと生き延びていたわけですが、啄木日記から時代を20年ほど戻りますと、明治22年（1889年）5月30日の中外商業新聞に、面白い記事が載っていました。

《引用》
　汽車の延長するに随い、乗客が退屈を恐れ、自然書籍もしくは新聞、雑誌等を購読せんとするの傾きあるを察し、法木徳兵衛氏は鉄道貸本所なるものを設け、各停車場に於いて貸本の営業なしたき旨、去る頃日本鉄道、両毛、水戸、甲武の諸鉄道へ願い出しが、今度また同様の儀を鉄道局へも願い出、許可の上は早速各停車場へ貸本所を設け、乗客を目当てに貸本の営業をなすと云う。
（『明治ニュース事典　�｢』　毎日コミュニケーションズ出版部・1984年）

　法木徳兵衛という人は、明治1１年、新聞売捌業（うりさばきぎょう）を始めたことで知られています。それまで新聞は、新聞社が絵草紙屋や、煙草屋や、両替屋の店に置いてもらっていました。その需用が追々と増えてくる。そこに目をつけた法木徳兵衛は、新聞を専門に扱うチェーン店を作って、販売を一手に引き受けることにしたのですが、今度は鉄道の売店を利用した商売を思い立ったのでしょう。現在のキヨスクのブック・コーナーには、〈キヨスク本〉と呼んでもいいような、肩のこらない文庫本が並んでいる。彼はそれに類する読み物の提供を思いついたわけです。

　実際にはどんな方法を考えていたのか。例えば一人のお客が、ある駅で、定価分のお金を払って読みたい本を借り、降りた駅でその本を返すならば、定価から借り賃を引いたお金を戻してもらうことができる。多分こんなやり方が可能な、貸本屋ネットを考えたのだろうと思います。このやり方ならば、お客が本を返さずに持って行ってしまったとしても、貸した側の損にはならないからです。

○照明の問題

　たしかに上手くできたアイデアで、法木さんの先見の明には感心させられてしまう。が、ちと先見の明が早すぎて、実際は成功しなかったのではないか。そんな気がしてなりません。 なぜなら、よほどきちんとした一元的な組織を作っておかないと、本の管理や、貸し賃の集計に手違いが生れやすいからです。
　これは経営者の側の問題ですが、利用者の側に立ってみても、当時の客車はあまり読書には適さない環境だったのではないか。そういう疑問もあります。

　私は、小樽へ出てくる間、本を読んでいることが多いのですけれど、それは車内の天井の蛍光灯がずっと点いていて、一定の明るさを保ってくれるおかげです。ですから、トンネルの中に入ってもそのまま読み続けることができる。しかし、もし車内に安定した照明がなかったとすれば、トンネルに入った時ばかりでなく、高い崖の下を通ったり、暗い木立の山中にさしかかったりしただけでも、車内が俄かに暗くなったり、目先がちらちらしたりして、集中して読み続けることはできないでしょう。まして、初期の鉄道の客車の窓は、現在の電車のように大きくない。採光の点でも、晴れた日の日中以外は、読書にはあまり適していませんでした。

　もちろん全く照明がなかったはずがない。車夫が客車の天井にランプを取りつけにくる。そんなシーンが、夏目漱石の『三四郎』の冒頭に描かれています。ただ、どうやらそれは夕方からだったらしく、しかもその明るさは、せいぜい室内の様子が判別できる程度でしかなかったのではないでしょうか。（※5）

○照明革命

　先ほど上野図書館の読書環境を話題にしてみたのも、同じような問題が気になったためでした。もう一度大橋図書館にもどりますと、明治45年の４月から全閲覧室の夜間開館を始めています。間違いなくこれは電燈の設備が整ったおかげで、なぜそう判断するかと言えば、新田宗雄という人が編輯した、『東京電燈株式会社五十年史』（東京電燈株式会社・昭和11年８月）に、その辺の経緯が詳細に書かれていたからです。

　ここでは、要点にまとめて紹介しますと、まず（１）従来、屋内の布線は需用家負担でしたが、明治38年12月からは、会社負担とし、電燈1燈につき1円の均一工事費で取りつけ、それを貸しつけることにしました。借家や間借りの人の場合、それまでは工事費がかかるため、大家さんがなかなか電燈線を引いてくれなかったのですが、このおかげで借家人も電燈線を引きやすくなったようです。
　次に（２）それまでは火力発電だったのですが、駒橋の水力発電所が完成し、明治40年12月20日、東京へ送電を開始しました。
　さらに一般家庭における電燈の普及を決定づけたのは、（３）明治41年4月、電燈会社が従来の半夜燈を廃して、料金は半夜燈料金のままで、全部終夜燈に改めたことです。つまり一晩中電燈の下で生活することができるようになり、その上明るい電球が開発された。いわば日本の家庭の夜が一挙に明るくなったわけで、『東京電燈株式会社五十年史』の執筆者は、誇らしげに次のように書いています。

《引用》
　恰（あたか）もこの時に方（あた）つて、タングステン電球が種々改良の結果、克く震動に耐へて耐久力を増し、其の光線も優美で太陽光線に近似し、而かも炭素線電球に比較して電力の消費量は約三分の一に減少することとなつたので、各社は競つてタングステン電球を採用するに至つた。新電球の採用によつて著しく供給能力を増大し、料金を値下して瓦斯燈と略々（ほぼ）同一額とし需用を開発普及する上に於て至大の便益を得た。

　当時の家庭では一般的に60ワット電球が用いられましたが、蛍光灯に馴れている私たちにとって、60ワットはむしろ薄暗くしか感じられません。しかし、戦争中の灯火管制や、戦後の電力不足を経験した人ならば、60ワットの明るさがどれほどありがたく感じられたか、お分かりだろうと思います。それまで石油ランプや、それとさほど明るさの変わらない炭素線電球しか知らなかった人たちにとって、タングステン電球は画期的な明るさを家庭にもたらす。その結果、明治から大正にかけて、東京における電燈の取付数は飛躍的にのびてゆきました。

　　明治42年下期末　　　409,014燈
　　明治43年下期末　　　482,220燈
　　明治44年下期末　　　601,585燈
　　大正元年下期末　　　 960,584燈
　　大正2年下期末 　　 1,268,430燈
　　大正3年下期末 　　 1,415,387燈

　こうして日本でも、一晩中小説を読み耽る夜型人間が出現し、不眠症に悩む青年が登場するようになったわけです。

○電燈の位置

　ただし上の表における1,415,387燈は、1,415,387戸ではありません。なぜなら、１戸に１燈しかつかなかったわけでなく、複数の電燈を取りつけた家も多かったからです。戸数に直せば、その半分か、あるいは3分の1くらいの数だったでしょう。
　余談になりますが、この点について、渋沢敬三『明治文化　第12巻　生活』（原書房・昭和55年6月）の第4章「住居と生活」で、宮本馨太郎が『明治生活調査報告』に基づいて、面白い報告をしていました

　その報告によりますと、1燈だけつけた家と、3燈つけた家とはほぼ同数、2燈つけた家はその1.5倍ほどになるわけですが、では、1燈だけの家は、どこに電燈をつけたでしょうか。……ほとんどが台所です。その他は、普段家族が一緒に過ごす居間、または茶の間でした。ただし昔の農家を思い浮かべてみれば分るように、食事をとる場所と台所とがはっきり別れているわけでなく、食卓を片付ければそのまま家族の団欒の場所となる。そういう家屋構造の場合、コードを長くし、必要に応じて電燈を動かしていた。ですから、台所を念頭に置いて答えた家と、居間を念頭に答えた家とがあり、しかし実質的な違いはほとんどなかったと言えそうです。

　それに対して、2燈の場合、（１）台所と居間につけた家と、（２）台所と座敷につけた家と、（３）台所か居間に1燈をつけ、他の1燈は店や仕事場につけたという家とが、それぞれほぼ同数。この3パターンの家の数を合せると、全体の7割弱を占めていました。
　では、残りの3割強の家はどうだったか、と言いますと、「居間と座敷に1燈ずつをつけたもの」、「1燈は台所と居間とに兼用し、他の1燈は座敷につけたもの」というパターンが大半でした。ここで言う〈座敷〉とは、主人の居間というほどの意味で、つまり主人が家族とは別な部屋で過ごすような家族関係の家では、そこに電燈を配置する。そうではなくて、店を開いたり、注文仕事を受けたりする家の場合は、当然のことながらそこに配線していました。

　次に3燈の場合は、台所と居間と座敷に各1燈ずつ、というパターンがほぼ半数を占めていますが、それ以外は、「居間・台所・店又は土間」、「座敷・台所土間又は養蚕室」、「座敷・居間・土間」、「台所・居間・門燈」などのパターンに分散していました。ただ、そのなかには、「座敷・茶の間・玄関」、「座敷・茶の間・隠居所又は寝室」というケースもあり、台所が無視されて（犠牲になって）いる。多分これは、台所で働く人間と、主人家族とが、いわば身分的に分離していた、そういう人間関係の現われだっただろうと思います。

　もちろん4燈以上の家もあったはずですが、残念ながら宮本馨太郎は分析の対象から外してしまいました。ただ、以上のことからも、ある程度の推測ができないわけではない。自分の部屋に電燈を引いてもらい、夜明けまで本を耽読できる青年がいたとすれば、それはよほど贅沢な読書環境に恵まれていたことになるでしょう。たぶん大多数の人たちにとって、一つの電燈の下に家族が集まり――特に冬の北海道の場合は、部屋の真ん中に据えられたストーヴを囲んで、――思い思いに時間を過ごしている。その居間が、読書の空間でした。母親は夜なべ仕事をし、弟や妹は宿題をしたり、ゲームで遊んだり、そして自分は部屋の一角を占めて読み物に没頭していたわけです。

V．生き方としての貸本屋

○足助素一の「独立社」

　さて、法木徳兵衛の鉄道貸本アイデアからだいぶ脱線してしまいましたが、明治40年代、以上のような読書環境の変化に伴って、貸本に新しい意味を見出そうとする動きが生れてきました。
　そのハシリと言うべきものに、明治41年5月、足助素一（あすけ・そいち）が札幌に開いた〈独立社〉という貸本屋があり、その経緯については沓掛伊左吉（くつかけ・いさきち）さん（『大正の貸本屋』日本古書通信社・昭和48年）や、北大の図書館の藤島隆さん（「ノート　北海道の貸本屋」「ノート　北海道の貸本屋（補遺）」　『貸本文化』13・15号）が、詳しく紹介しています。

　それらによりますと、足助素一は札幌農学校の林学実科を卒業して、山梨県庁に勤めますが、どうもサラリーマン生活が性に合わなかったらしく、佐賀県、青森県と渡り歩いた挙句、明治40年12月に小樽の材木会社に入りました。ところが、半年足らずで、「多病の名のもとに解職」されてしまう。多分休んでばかりいたのでしょう。そして札幌へもどり、当初は15、6冊の本を、小さな柳行李（やなぎごうり）に入れて貸本業を始めた、ということです。江戸時代ふうな貸本屋さんからスタートしたわけですが、その後、何回か移転を重ね、明治45年3月に南大通西4丁目（新川通り）に店を構えた頃には、蔵書もかなり充実していたようです。というのは、『足助素一集』（足助たつ発行・昭和6年）に、明治43年1月現在の独立社蔵書目録「法律経済文学及雑著」が載っていて、主要書目だけでも450冊を超えているからです。

　新川通りの独立社には、有島武郎の油絵がかかっていたそうで、吉崎研亮という人が、「数年前／有島さんがかきしと云ふ／わが独立社の剥げし画看板」（『民衆の太陽』）という、啄木ばりの歌を詠んでいます。
　そのことから見当がつくように、足助素一は札幌農学校の学生時代から、3年先輩の有島武郎と知り合いで、有島や森本厚吉の〈土曜会〉に出席し、新渡戸稲造が始めて、有島が力を入れていた〈遠友夜学校〉を手伝っていました。独立社の〈独立〉は、おそらく札幌の独立教会から借りたものですが、さらに自前で生きてゆく〈自主独立〉の気概を託していた。そう思われます。その蔵書目録を見ても、社会主義的な傾向の法律書や経済学書、または丘浅次郎や綱島梁川、内村鑑三、新渡戸稲造など、思想、宗教関係のものが多く、知識人を顧客に想定した、新しいタイプの貸本屋だったことがうかがわれます。

　なお、彼は大正3年1月、遠友夜学校に独立社を寄付して、東京に出てしまいました。焼芋屋をやって食いつないだりしていましたが、大正7年、叢文閣という出版社を興して、有島武郎著作集を出し、昭和に入ってからはマルクス主義関係の出版で名を知られるようになりました。

○独立自営というコンセプト

　彼の生き方に刺激されたのか、それとも彼の上京をうながすきっかけになったのか、その辺の関係は分りませんが、大正2年4月（※6）、石井研堂が『独立／自営　営業開始案内』（博文館）という、懇切丁寧な貸本の手引きを書いていました。

　ただし私は、石井研堂の本そのものはまだ手に取って見ていません。この本は札幌や、その近辺の大学の図書館になく、東京都立図書館にも入っていないためです。ただ幸いなことに、沓掛さん（『大正の貸本屋』）や、広庭基介さん（「石井研堂著「独立自営・営業開始案内」について」・『貸本文化』16号）が、詳しく紹介してくれている。ここはその受け売りでしかないわけですが、石井研堂は貸本業を、〈特別に専門的な知識や技術を持たず、割合に小資本であっても、独立して自営できる業種〉と捉え、実地に幾つかの貸本店を調査して、「貸本の見料」や「保証金を預る手続」、「貸本整理法」などを解説していました。

　その「見料」の一覧表を見ますと、小説や伝記などの場合、１冊１円の新刊書は2日で6銭、3日で9銭、5日で12銭、10日で22銭とはね上がってゆき、啄木が2日に1冊の割合で、急かされるように新刊の小説を読み漁っていた、その理由も何となく分かってくる。うっかり1日延ばせば9銭も取られてしまうからです。
　彼の下宿にはまだ電燈がついていなかったようです。薄暗いランプの光を頼りに、3銭の見料を惜しんで、枕草子のきわどい濡れ場を、追われるようにローマ字で書き写している。たしかに高橋源太郎がからかってみたくなるような、哀しくも滑稽な場面でした。

○学者向けの貸本業

　この啄木のところに、山本太市郎という老人が貸本を携えてやってきたわけですが、石井研堂はそういう昔からの商いを「甲種持込貸本法」と呼び、それに対して、大衆的な講談本などを店に置いて、客に足を運んでもらうやり方を「乙種通俗貸本法」と呼んでいました。
　さらに彼は、神保町のいろは屋とか、猿楽町の石垣とかいう貸本屋をモデルとして、「丙種高等貸本法」を挙げ、「貸本業中最も進歩したやり方」と推奨していました。それは、「学生、学者、著述業などを主として相手にし」、「文学、理科、工業、法律などの学術物、新刊雑誌などを揃え」、「借り手からは一々保証金を預かり、そして郵便貸出しまで」するやり方です。「学者が、調べものをするからといっては、一度に二十冊から三十冊も借りて行」くという、「一種の小図書館」を構想していた点では、江戸時代の名古屋の大惣を近代化したような営業方法を考えていたのでしょう。

　学術書の場合、1冊1円の新刊書は、2日で6銭となっており、これは小説類と同じなのですが、30日借りても24銭と、割安の見料となっていました。長期貸し出しを想定した値段をつけ、学者たちの便宜を図る。その意味で、足助素一の「独立社」とシンクロナイズしたような貸本屋を構想していたわけです。（※7）